#14 松江 〜国宝 松江城の城下町は どうつくられた?〜
松江城を出たタモリさんたちは城の南側、宍道湖のすぐそばにやって来ました。
そこに現れた案内人は松江市史編纂委員絵図・地図部会長・大矢幸雄さん。
「三度の飯より地図が好き」とのことでタモリさんとガッチリ握手です(笑)
600年前に橋があった。 #ブラタモリ pic.twitter.com/9Li95DSl7M
— ひろ@ほぼ実況。 (@antares_16) 2015, 8月 1 タモリさんが渡ってきた橋は600年前にはあったとのこと。
歴史ある橋なんですね。
地形に沿ってのカーブ。 #ブラタモリ pic.twitter.com/lDbTNX0jnq
— ひろ@ほぼ実況。 (@antares_16) 2015, 8月 1 まずはこの半島のような場所を見に行くことになりました。
地形にそってカーブしている道路。
中世の頃からほとんど変わっていない地形なのだそうです。
「出世小路」のある地点の地図。
ここに住む人は出世するという話があったのだそうです。
この先に進むと微妙に勾配があります。
ちょうどこの周辺は周りに比べると標高が高くなっていたため、古くから町が形成されました。
城下町よりも前に存在したこの町を利用したんですね。
白潟を取り込むために城下町ができた。 #ブラタモリ pic.twitter.com/r6IMZBLDCD
— ひろ@ほぼ実況。 (@antares_16) 2015, 8月 1 そのあたりの土地を「白潟(しらかた)」と呼びます。
城が出来る前、宍道湖と日本海を結ぶ水運で栄えていました。
そして江戸時代になり、その白潟を取り込むために城下町が造られ、どんどん発展していきました。
明治の中頃まで回船問屋をやっていたという「風流堂」。
現在は和菓子屋になっています。
これがパスポート。
明治四年までは松江潘。←廃藩置県だよな。 #ブラタモリ pic.twitter.com/lFVyra2MSI
— ひろ@ほぼ実況。 (@antares_16) 2015, 8月 1 そのお店には当時の船で使われていた通行手形が残されていました。
これは明治4年(1871年)7月に行われた廃藩置県で松江藩が廃止になる直前に書かれた通行証で、しっかりと「松江藩」と書かれています。
松江藩の藩札 #nhk #ブラタモリ pic.twitter.com/IajevuZl7Y
— 絶対本職先生 (@2BenKi) 2015, 8月 1 さらに藩札という松江藩が発行した紙幣も残っていました。
これは貴重ですね。