#14 松江 〜国宝 松江城の城下町は どうつくられた?〜
今回のブラタモリ「松江」は松江城から始まりました。
撮影時はまだ国宝になっていなかった松江城、7月8日に国宝になりました。
松江城
祝! #ブラタモリ pic.twitter.com/1uJCSdusc8
— YOSH (@m_yosh) 2015, 8月 1
今回の「タモテバコ」のお題は以下。
「国宝松江城の城下町はどう作られた?」
仙台に引き続き城下町ネタですね。
そこで登場した案内人、松江歴史館学芸員・西島太郎さん。
島根県の歴史を研究している方です。
明治時代の松江城はボロボロ! #ブラタモリ pic.twitter.com/DOYO0MRa1U
— YOSH (@m_yosh) 2015, 8月 1
明治時代中頃の松江城はボロボロの状態でした。
これを明治・昭和の時代に修復したとのことです。
案内人の話によると、築城30年ほどで傾いていたという話でした。
あまり大事にされていなかったのでしょうか?
松江城は、日本に現存する12の天守の内の一つで、堀尾吉晴によって築城されました。
タモリさんたちが松江城に入って最初に目に入ったのは「井戸」。
天守の中に井戸があるのはなんと松江城だけ!という貴重なものです。
実は戦前には国宝だった松江城、築城年が特定できず戦後に重要文化財に成っていました。
ところが3年前に、お城の柱に貼られていたと思われる札を発見。
その札が、お城の柱の釘跡と一致したことで築城年数が判明したのでした。
完成した時の年号「慶長16年(1611年)」。
江戸時代初期ということですね。
松江は平地がない。 #ブラタモリ pic.twitter.com/CjxAXBJfQI
— ひろ@ほぼ実況。 (@antares_16) 2015, 8月 1
お城の最上階に上がって街を見下ろし、室町時代の地図と現在を見比べてみるタモリさんたち。
当時、松江城周辺は湿地帯で、城下町が作れるような状態ではありませんでした。
ではなぜここに城下町を作ろうとしたのか?
それが今回のテーマです。