ブラタモリ#11 奈良の宝 7/4(3)奈良の大仏に隠された謎、観光の始まり

奈良の大仏



奈良の大仏(国宝)は、正式名称は「盧舎那仏坐像」といいます。

高さ15メートル、聖武天皇によって752年に完成しました。





大仏殿を支える柱は一本の木ではなく、中央にある木に周りから材木を打ち付けて一本の柱に仕上げる「集成材」という技術が用いられています。

江戸時代になるとこれほどの太い木は存在せず、苦肉の策で編み出した技術なんですね。




しかし梁は集成材というわけにはいかず、宮崎県から運んだ大きな木の梁が使われています。

この梁を「大虹梁(だいこうりょう)」と言い、太さ1.4メートル、長さ23メートルもある巨大なものです。


この梁を運ぶのはかなりの苦労があったと思われますが、当時の状況を描いた絵図を見ると皆笑顔で引いています。

どうやらお祭り騒ぎで材木を引っ張っていたようで、これを「寄進引き」と言います。



明治時代になるとあまりに重くて屋根が歪んでしまった大仏殿。

残されている写真を見るとその歪みがよく分かります。



そこで明治時代に修復で導入されたのがイギリス製の鉄骨トラスでした。

日本で初めて文化財の修復に使われました。






各時代で修復されてきた奈良の大仏


大仏は部分的に壊れたところを修復して現在に至っています。

特に頭の部分全体は江戸時代に修復されたもので、体に比べるとピカピカと真新しい様が分かります。

体の部分は各時代につぎはぎのように修復されています。





奈良時代からずっと現在に至るまで、守られてきたものだというのが分かりますね。





奈良観光の始まり


1692年に大仏修復終了の際に行われた法要「開眼供養会(かいげんくようえ)」には、当時人口3万人ほどの奈良に30万人もの人が訪れたそうです。

その時は宿泊所が全く足りず、民家が宿を貸す民宿でまかなったそうです。

これがキッカケとなって奈良の観光が活性化していったと言われています。





江戸の再建を支えた立役者とは


大仏殿の再建の立役者は第5代将軍・徳川綱吉でした。

「生類憐れみの令」で有名ですね。

幕府直轄事業として大仏殿の再建を支援した人物です。


南大門の近くにある、聖武天皇をまつった天皇殿。

この天皇殿は大仏殿再建をした綱吉に感謝して江戸時代に「東照宮」として建てられましたが、明治以降は聖武天皇をまつる「天皇殿」に変わりました。


そういう経緯があって、この天皇殿には徳川家の三つ葉葵のご紋と、天皇家の菊の御紋が並んでい存在するというひじょうに珍しい場所なのです。


つまり観光地・奈良の存在は徳川幕府によって守られた、というわけなんですね。



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posted by しょう at 16:46 | 奈良県

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