船頭体験を終えたタモリさんが次に向かったのは、川越を代表するお寺「喜多院」。
平安時代に創建された歴史の深い場所です。
喜多院の境内で「厄除け団子」を食べていた案内人の松尾鉄城さんと遭遇し、団子を食べてから喜多院の奥へ。
新河岸川の舟運が始まったきっかけ
喜多院の境内には江戸城の一部を移築した建物が残されています。
江戸城にすら残されていない、江戸時代初期の大変貴重な建物です。
この建物の移築に使われたのが新河岸川の舟運。
つまりこの移築がきっかけで、江戸と行き来する舟運が発展したとされています。
なぜ江戸城を移築したのか?
江戸城を川越へ移築を命じたのは徳川家光。
1638年(寛永15年)に喜多院は大火に見まわれ、山門以外は全て燃えてしまいました。
当時の住職は、徳川家康から家光まで三代に仕え、幕府の政策に深く関与していた「天海大僧正」。
家光にとっては大恩人の天海大僧正の寺が燃えたとあって、自分が住んでいた御殿を譲ることにしました。
そっくりそのまま移築したので、徳川家光が誕生した部屋、風呂やトイレに至るまで残されています。
また家光の乳母「春日局」の部屋も残っていました。
まさに、川越に来れば江戸が見られる、ということですね。
川を通じて深く結びついていた川越と江戸
小江戸 川越で 今や東京では見ることの出来ない
江戸の姿と出会えた旅でした
タモリ
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