木古内を後にしたタモリさん一行は、ついに函館駅に到着。
終点・函館駅は行き止まりの駅なので、レールが車止めで途切れています。
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しかし、案内人の方は更に先の方までレールが延びていたと地図で示すのですが…。
昔は函館駅から先の青函連絡船の乗り場まで線路が延びていたんですね。
青函連絡船の時代を知っている方はみんな知っていることではありますが、レールが撤去された今は知る人も少なくなりました。
青函連絡船 摩周丸
青函連絡船は、明治41年(1908年)〜昭和63年(1988年)までの間、青森〜函館間を運行していました。
青函トンネルが出来る前まではこの青函連絡船が本州と北海道を結ぶルートだったのです。
函館駅を出て西へ進むと「摩周丸」が見えてきます。
かつてはこのあたりまでレールが延びていたわけですね。
「摩周丸」は最大で13隻あった青函連絡船のうちの一つです。
現在は記念館として公開されており、中にも入れます。
ここから案内人は元一等航海士・佐藤幸雄さんに変わり、船内を案内してもらいます。
青函連絡船は最盛期には一日30往復もしていたそうです。
そして船内に入り操舵室から無線送信室へ。
無線好きのタモリさんと元通信長・野呂功さんとのマニアックな無線談義になり、完全に視聴者が置いて行かれます(笑)
タモリさんの子供の頃の夢は船舶通信士だったそうで、モールス信号も難なく打てるんですね。
その後、船の奥へと進むタモリさん一行。
真っ暗闇の中に出てきたのは…。
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船の中に、長さ約120メートルのレールが延びていました。
ここに貨車を48両積んだとのことです。
全部で4車線あるこの「車両甲板」。総延長約400メートル。
このレールが外にあるレールと直接繋げられるようになっており、そこから貨物列車を船に積んでいたんですね。
48両の貨車を降ろして、積んで、緊締具をかける、という作業を55分で完了させなければならなかったと言います。
「昔は連絡船が3日止まれば、北海道の物価が二倍になると言われていました」
連絡船がいかに重要なものだったかが分かりますね。
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1988年3月13日、80年間で1億6千万人を運んだ青函連絡船の最後の日。
時代の一つの転換点でした。
簡単には越えられない津軽海峡
強い流れや厳しい寒さが立ちはだかる
そんな自然に挑み乗り越えてきた
先人たちの思いに触れた函館の旅でした
タモリ
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